こんにちは、あずきです。
2027年に放送されるNHK大河ドラマが発表されましたね!
歴史には詳しくありませんが、毎年大河ドラマには注目をしております。
タイトル:逆賊の幕臣
主演:松坂桃李さん
題材は「小栗上野介忠順」とのことですが、皆さんご存じでしたか?
私は恥ずかしながら知りませんでした。
上野介といえば、吉良上野介だけ…^^;
今回は、2027年大河ドラマの題材である小栗上野介忠順について気になったので調べてみました。
- 小栗上野介忠順の読み方は?何をした人?
- なぜ「逆賊の幕臣」なのか?
- 小栗上野介忠順の子孫はいるの?
小栗上野介忠順は何をした人なのか?勝海舟のライバル?

・小栗上野介忠順とは
小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)
江戸時代末期の幕臣で、「上野介(こうずけのすけ)」は官位、名前は「忠順(ただまさ)」です。
そのため検索すると、「小栗上野介」や「小栗忠順」どちらも出てきます。
引用元:大成山普門院「小栗上野介の最後」より
年代 | 年齢 | 出来事 |
1827年(文政10年) | 0 | ・6月23日、江戸に生まれる。幼名:剛太郎 |
1853年(嘉永6年) | (ペリー来航) | |
1855年(安政2年) | 29 | ・父・小栗忠高の病死、小栗家を相続。 |
1857年(安政4年) | 31 | ・従六位相当に叙任。 |
1858年(安政5年) | (日米修好通商条約調印) | |
1859年(安政6年) | 33 | ・豊後守に就任。 |
1860年(万延元年) | 34 | ・日米修好通商条約の批准書の交換のため、軍艦ポーハタンで渡米。 ・外国奉行に就任。 |
1862年(文久2年) | 36 | ・勘定奉行に就任し、財政改革や殖産興業を推進。 |
1864年(元治元年) | 38 | ・横須賀製鉄所の建設を主導し、近代工業化に尽力。 |
1867年(慶応3年) | 41 | ・勘定奉行兼陸軍奉行として幕府の財政再建に取り組む。 |
(大政奉還) | ||
1868年(慶応4年・明治元年) | 42 | ・戊辰戦争が勃発し、幕府側として活動。 ・4月6日、上野国権田村(現在の群馬県高崎市)で処刑される。 |
まさに、江戸時代末期から明治時代へと移る、激動の時代を生きた方と言えます。
1860年に渡米する際には、あの「勝海舟」と一緒でした。
歴史に興味のない方でも、勝海舟は学校の教科書にも載っているので有名ですよね。
小栗上野介忠順は、「勝海舟のライバル」とも言われています。
また、大河ドラマのタイトルは「逆賊の幕臣」。
なぜそのように言われているのでしょうか。
・なぜ勝海舟のライバルと言われるのか?
2人の接点は、1860年の渡米。
小栗上野介は、日米修好通商条約の批准書の交換のため、アメリカ船ポーハタン号に乗り、使節団として派遣されました。
一方、勝海舟は、ポーハタン号の護衛として咸臨丸で出航。
時を同じくして2人はアメリカに渡っていたということです。
咸臨丸の方が有名ですが、遣米使節団としてのメインはポーハタン号で、咸臨丸は護衛船だったんですね。
それから8年、旧幕府軍と新政府軍の戦いである鳥羽伏見の戦いで敗れた幕府軍。
主戦派の小栗上野介と、恭順派の勝海舟は対立することになりましたが、最終的に勝海舟が江戸城無血開城を実現させました。
※主戦派…武力による対決を主張する派 恭順派…和平を主張する派
幕府が崩壊し、その後小栗上野介は明治新政府軍によって、取り調べもなく斬首させられました。
「私自身には何もないが、母と妻と息子の許婚を逃がした。どうかこれら婦女子にはぜひ寛典を願いたい」
最後には家族を想う言葉を残したと言われています。
・小栗上野介忠順の残した功績
小栗上野介は、旗本の子という恵まれた環境で生まれ、幼いころから漢学、剣術、柔術、砲術などを学び、幕府への忠義心を持って育っていきました。
日米外交においても大きな功績を残し、アメリカで近代文明に圧倒された小栗上野介は、アメリカから1本のねじを持ち帰ったそうです。

小栗が持ち帰ったネジ(東善寺蔵) 引用元:タウンニュース(横須賀・三浦版)より
帰国後、小栗上野介は横須賀造船所の建設を計画し、実現。
日本の近代化に大きな功績を残しました。

横須賀造船所 引用元:ウィキペディア(Wikipedia)より
小栗上野介の評価として、このような言葉で讃えられています。
・大隈重信「明治の近代化のほとんどは小栗上野介の構想の模倣に過ぎない」
・東郷平八郎「日本海海戦の勝利は、小栗さんが横須賀造船所を造ってくれておいたおかげ」
・福沢諭吉「鞠躬尽瘁(きっきゅうじんすい)の人」(※鞠躬尽瘁…国のために命を懸けて尽くすこと)
・司馬遼太郎「明治の父」
小栗上野介忠順に子孫はいるのか?

・小栗上野介の子孫
歴史上の人物というと、その子孫が気になりますよね。
小栗上野介の玄孫として、漫画家の小栗かずまたさんがいらっしゃいます。
ご本人も大河ドラマ発表当日に、さっそくつぶやかれています。
【玄孫】小栗かずまたさん
本名:小栗又一郎
職業:漫画家
代表作:『花さか天使テンテンくん』(週刊少年ジャンプ連載)
さらに、遠戚として、格闘家の武蔵さんがいらっしゃいます。
小栗上野介の妻の道子と、蜷川新(武蔵の曽祖父)の母であるはつ子が姉妹という関係性です。
これは意外でした!
【遠戚】武蔵さん
本名:森 昭生
職業:元空手家、元キックボクサー、タレント、俳優
獲得タイトル:K-1 JAPAN GP 1999、2000、2002、2003 優勝、WAKO PRO世界ムエタイヘビー級王座など
まとめ
小栗上野介忠順は江戸末期から明治の激動の時代を生きた人物です。
使節団として渡米し、その強大さに圧倒され、日本を強くしようと近代化に尽力した、幕末において重要な役割を果たした1人です。
学校では学ぶことのない歴史上の人物ですが、小栗上野介忠順が日本の近代化に与えた影響は大きく、名だたる著名人も彼を讃える言葉を残しています。
大河ドラマでは、小栗上野介忠順がどのように描かれるのでしょうか。
ぜひ一緒に、楽しみに待ちましょう♪